kikuyon’s blog 日日草

このブログは、私の日常や気づきについて書いています。 日日草は新しい花を次々と咲かせ、花を休むことがありません。 花言葉は、友情、優しい記憶、楽しい思い出、愛する人を励ます等です。

自分の立ち位置って

お久しぶりです

昨日は久しぶりの雨、外は生暖かく、少し気持ち悪い感じの陽気です

ここのところ朝夕の寒暖差が激しく、何を着て外出すればよいのか、暖かくなるのはありがたいけど、悩ましいシーズンの到来です

 

 

さて、NHKの朝ドラを観ていて、ちょっと身につまされました

 

主人公の雨清水八雲さんは、それなりに出世し、良い地位と給金を頂けるようになり、それで家族を養っている、という満足感で満ち溢れていました

それが、もうあなたはロートルだからと突然首にされ、他校に求職しても色よい返事は一切無し

高い給金が得られなくなり、家族を今までの通り養えなくなる恐怖と、一人戦っていました

そもそも、作家として一時はベストセラーを書いていたのに、アイデアが枯渇しそれも叶わなくなり、教職というポジションに心の平穏を求めていたのですから・・・

 

サラリーマンとしていっぱしの出世をし、世の中全て俺のモノぐらいに思っていた時期もあった

でもある時から、部下だった人たちに抜かれ、置いていかれ、そしてあなたはもういらないと言われる現実

抗いながらも、暗然とその事実を悟るという恐怖

世の中から必要とされていないと告げられた、自分のこれからの立ち位置は、ポジションはどこにあるのだろう

 

50才台になって、多くのサラリーマンが味わうのではないでしょうか

 

第三者からは、副業をしろとか、趣味を持て、とか言われても、過去の栄光が忘れられない

まだまだ自分は役に立つはず

あんなこと、こんなことだって、社内で上手くいっていない事まだまだ一杯ある

私だったら何とかできる、なぜやらせようとしないの

・・・真面目な人ほどそう考える

 

ちょっと斜めの人は、だったら好きにさせてもらいます、あとはよろしくと、気持ちは既に退職者

 

でも、ほとんどの人がまだまだローンが残っていて、再雇用になり大きく給金が減ったとしても、部下の部下になろうとも、歯を食いしばり、居られる限り居続ける

そして、ある日唐突にフッと最後の日を迎える・・・

サラリーマンでなくても、自営業だって、誰もが同じように人生の下り坂を経験する

凹む必要はないけど、知力、体力あらゆる面で衰えは否めない

自分以外の誰もわかっていないかもしれないけど、自分の限界はもっと上にあったはず

 

でも、自分の限界は周りが決めるのではなくて、自分の心の中にあるものではないかしら

終わったと思えばそこで終わるし、できると思えば、以前とは違うかもしれないけど、亀の歩みはできる

ウサギのように飛び跳ねたいけど、ちとそれはできない、カメの歩みになってしまう

それでも前進

前進あるのみ

だから、勝手に終わったと思ってはいけない

自分はダメだと決め付けちゃいけない

今まで使っていなかった脳みその部分がまだまだいっぱいがある

今までやってこなかったことは、まだまだいっぱいある

 

地位に対する称讃を得るだけが人生じゃない

自分の立ち位置、アイデンティティって、立停まって考えることじゃない

動きながら、(気持ちは)走りながら、みえてくることじゃない

 

取り敢えず次に、別の道に一歩を踏み出してみよう

それは、昔の通りに一発で上手くいかないかもしれない

でもそれば恥ずかしいことじゃない

年取ったっからって、ダメなら頭掻いて、照れて笑って、教えて下さいって、教えてもらえばいいじゃない

誰も昔のあなたのことなんか知らない

勝手にそう思い込んでいるのは自分だけ

 

だから、知らんぷりして思いっ切り恥をかこう

それって意外と楽しいかもしれない

 

自分から自分を変えてみる

それを楽しんでみる

そこから何かが始まるかもしれないし、始まらないかもしれない

でも、それでいいんじゃない

 

 

 

 

 

 

コミュニケーションって難しいなあ

もうすぐクリスマスですね

そして、あっという間に年越しです

さすがにこの年になると、クリスマスがどうのこうの、という感じではなくなりますが、プレゼントのことやクリスマスの食事のメニューなんかはやはり気になります

チキンはどこで買おうか、ケーキはどうしよう、なにを作ろう、パエリアかな・・・

人生で初めてパートナーとお付き合いを始めてからこのかた47年が経ちますが、この月はなかなか大変な月です

というのは、パートナーの誕生日がクリスマスと同じ月だからです

若かりし日々はどちらもきちんとプレゼントを用意していました

何をプレゼントするか、そしてその予算はどうするか、悩みが尽きませんでした

ただ、いつの頃からかプレゼントは一つになってしまっていますが・・・

余談ですが、最初に生まれた子供はパートナーと一日違いのお誕生日でした・・・

ですからさらに大変になりました・・・

今年のお誕生日の朝

さて、昨日はボランティアで通っている美術館の運営評価委員会なるものがありました

公募に応募したところ、なんとまあ選定されてしまい、その初会合でした

美術館は公的機関ですので、その運営についての客観的評価を第三者がする、といったところでしょうか

学識経験者や他美術館の関係者、教育関係者、商工会議所の方などに、私のような一般市民が加わっています

皆さん現役の方ばかりですので、会議の日程調整には事務局の方はご苦労されていたようです。

当初、事務局から「都合の悪い日を教えてください」という案内がきて、さしたる用事もなかったのですが、まあこの日は危ないか、と保険をかけて✖をつけていたのが昨日でした

通い慣れた美術館に20分前に到着すると、事務局さんがビックリしています

なんと、欠席と思われていたのです

出欠の最終確認をお互いしなかったのが原因のようです

事務局さんから、「あとから都合がつくようになった方はご連絡ください」とメールがきておりましたが、それがまさか、アンケートの✖が欠席と捉えられていた、とは気が付きませんでした

ほんと、コミュニケーションって難しいですね

こっちは、アンケートにより日程が決まったら、その日は何とかして行くもの、と思っている

そして、事務局さんはアンケートで✖って答えたのだから当然来れない、と思っている

何十年も連れ添ってきたパートナーとのコミュニケーションだって、お互い勘違いしてズレてしまうことは未だにちょくちょくあります

当たり前ですが、分かっていると思い込まないで、もう一度確認をする、という基本はいくつになっても大事だと改めて思い知りました・・・

 

コミュニケーションといえば、あるあるをもう一つ

今回の運営評価委員会は中間評価ということで、今期の活動について計画通りできているか否か、資料に基づき説明がありました

会社の会議じゃないのだから、しゃべり過ぎないようにしようと決めていたのですが、普段から美術館に出入りしていると、どうしてもいろいろと気になっているところが多々あります

委員の皆さんがしかめっ面して発言しないようだと、じゃ私から一言、ってやってしまいました

言うまでもなく、美術館は収益機関ではなく、社会教育を行う目的の市役所の一部機関です

それでも、今どき風に(それとも、もう遅れている?)計数目標とか定性目標とかが設定されていました

順番に報告がありましたが、とにかく計画通りにいかなかった一番の理由は、「少子化などの社会環境要因によって」です・・・

自分たちの努力とか工夫とかが足りなかったというのではなくて、外的要因によって未達なんです・・・

「こういう改善策もあるのでは」という質問に対しても、「前例が無い、予算も無い」・・・

民間企業に属している皆さんはわかると思いますが、やはりここもお役所なんだ、何かすべてが内向き志向で視野が狭いなあ・・・って感じてしまいました

せっかく組織外の人間を集めて、内々ではない意見を聞こうとしているのだから、耳の痛い話なのかもしれないけど、一旦受け取ればよいのでは?

大したことない要望などについては、「貴重なご意見を賜りありがとうございます、参考にさせて頂きます」と、素晴らしい回答なのですが・・・

まあ、何でもかんでも要望を受け取って、しれっとブラックホールのように闇に葬ってしまう、というのも困りものだけど・・・

 

やっぱりこれもコミュニケーションの問題ではないかしら

 

「どうですか」と聞かれた傍から、「出来ません」とシャットダウンしてしまえば、そこで話は終わってしまいます

すぐにはできないけど、そういう声もあるのであれば、時間をかけて検討していきたい、とか前向きな回答がもう少しあっても良いのでは、と思いました

自分たちが一度決めたこと以外は受け付けられませんって感じは、あんまりお客様目線じゃないなぁって思う

こういう自由な世界でも、親方日の丸ってミャクミャクと生きているんだって、ある意味新鮮な驚きでした



自分の意思をキチンと相手に伝えるのって、ホントに難しい

伝わったと思っているのは自分だけだったりして

ひょっとして勘違いも甚だしいのかも

だからって、何度も何度も繰り返して言えば良いってもんじゃないし

最初に発する一言目の言葉の重みってやつを噛みしめよう

考えもせずに発した軽々しい言葉は、あとになってどうしようもできなくなる

正確に意図を理解してもらうための言葉の大切さ

ホント言葉の選び方って大切ですね

 

 

 

 

 

 

現代美術ってなんだ

今日は、久しぶりに現代美術の展覧会を見に行ってきました

現代美術はわかりにくい、若しくは分からないと言われて久しいですね

対して近代美術は、表現方法に難解なところがあっても、視覚的な美しさや楽しさを感じとりやすいし、制作意図を何とか想像することも可能です

さらに古典となれば、それはもう、当時は写真としての機能、役割を求められていた訳ですから、描かれたものは直感的にすぐに理解できます

現代美術は、作品の概念や意味といった考え方が重視され、表現方法も絵画や彫刻といった従来のものに加え、ただの物そのものだったり、或いはパフォーマンスだったりします

ですから、現代美術は鑑賞する側が作品の主旨について考えることが求められ、その考えの元となった背景などを読み取り、自らが作品と向き合うことが求められます

単にチラッと見ただけではただの石っコロでも、そこに作者が込めようとした意味や背景をくみ取れば、それは美術作品となります

とまあ、こう書くとかっこがよろしいのですが、実際には美術館に行って初めてその作家を知る訳ですから、そこに込められた意味とか背景と言われてもピンときません

キャプションを読んで初めて、何となくぼやっと作者はこんなこと考えていたのかな、とわかる程度です

さらに困るのが、現代美術の中の古典的作品です

何十年も前に、作者が制作した時の時代背景や作者の当時の状況を知らなければ、なぜこんなパフォーマンスをしたのかなんてさっぱりわかりません

そんな風に何でもいちいち考えることを求められるから、現代芸術は難しいって嫌われて敬遠されるのでしょうね。

 

でも結局は、直感的な好き嫌いから入って、作品に向き合うことになるのではないでしょうか

まあ、古典だって近代だって、結局最後には好き嫌いです

ただ、古典や近代はその制作意図がある程度視覚から直感的に理解できますが、現代美術はそれがわからないので、単に好き嫌いのみになりがちです

でも、そこで終わらせずに、好きなら好き、嫌いならきらい、そしてそれはなぜ好きなのか嫌いなのか、というところを少しずつ堀り下げてみると、少しずつ見え方が変わってきて、新しい発見があるかもしれません

現代美術って、そんなところから入っても良いような気がします

作者には小難しい理屈やご高説があるのかもしれませんが、それをどう受け取るか、どう解釈するかはこちら側です

ですから、自分が好きなように向き合えばよいのではないでしょうか

ただ、はじめから「難しいから」とか「わからないから」とか、現代芸術を十把一絡げに決め付けず、ニュートラルな素直な気持ちで向き合わないと、何も入ってきません

入り口からシャッターを下ろしてしまうのは、もったいないと思います

 

ただ下世話な話ですが、いつも展覧会で思うのは「これどうやって持ってきたのかなあ」、「展示が終わったらどういう風に片付けるのだろう」ってことです

古典絵画なら、大事に枠ごと箱に入れてしまえばよいでしょうが、砂や土、液体など使うような現代美術は簡単に収納して運搬できず、それに再現性に欠けます

いちいち、展示するたびに作者が制作にくるのでしょうか

そもそも、保管庫では生ものなんかはどう保管されているのかしら・・・

 

今日の展覧会は、私が生まれた頃ぐらいに一世を風靡した作者さん方の展覧会でした

ですから、過去のパフォーマンスやインスタレーションは、写真という形で展示されていました

それ以外の作品は床に直接置いたり、壁に持たせかけたりして展示されており、監視員さんたちの緊張は尋常ではありませんでした

なんせ床にも直接砂を撒いたりしている訳ですから

そもそも作品の毎日の掃除なんかどうするのかしら

監視員さんも掃除のおばさんも、きっと愚痴っているのでしょうね、だから現代美術はイヤだよって・・・

頑張れ、現代美術!!

君たちが存在する意義が問われているぞ!!

 

 

 

天下国家を語る政治家って

だいぶこのブログをご無沙汰してしまいました。前回はまだ暑かったのに、今回は冬の入り口に差し掛かっています。時間の経つのは早いものですね・・・

前回、高市首相の就任について書かせて頂いてから二ケ月が経ちましたが、高市さん人気は未だに高評価を維持しています

矢継ぎ早の外交デビューをそつなくこなし、休む暇なく、ガソリン税の廃止、交付金など物価高対策に積極的な財政出動も厭わない方針を表明し、さらに維新との連合の約束を果たすべく、議員定数の削減に取り組もうとしています

台湾有事問題では墓穴を掘ってしまい中国にやいのやいのとやられていますが、今朝のニュースでは夫婦別姓について私案なる暫定的な運用指針を法案化しようとしている、と報じられています

書き並べてみると意外と頑張っているじゃないかと、最初の言葉「働いて、働いて・・・」に嘘はないのかな、と思わせられます

ただ、よくよくこれらを見てみるとみんな対処療法でしかないのではないか、と気が付かされます

ガソリンが安くなるのは良いのですが、その減収をどう補うかの議論は後送りされてます

同じように、防衛費についてもトランプさんに言われる前に増額しようとしていますが、裏付けとなるお金はどうするのでしょう

最たるのは、お米券の配布です

早くも自治体から、経費倒れに終わるので配らない、と表明するところも出てきているほどで、一過性で配っても真の原因、問題が解決しなければ、また来年も同じことを繰り返すだけではないでしょうか

結局は、政治が動いているのは人気取りのばらまき政策だけで、そもそも根っこの部分はどうするのか、という一切の議論も説明もない、というか説明もできないのかもしれません

 

それでは野党に期待したいところですが、期待に違わないような党はなかなか見当たりません

最たるのが国民民主党です

政策には是々非々で取り組むと言っていますが、結局は年収の壁の引き上げを言うだけで、政権交代の可能性すらあったものの、野党間の小異に拘り、大局を見失ったかのようにしか映りませんでした

維新ですら、国会議員の定数が削減されればそれで良いのか、と思わざる得ません

日本の選挙制度の骨格をなす小選挙区制や比例代表制の在り方について、どう考えているのか見えてきません

そもそも政治と金の問題だって、こうした制度からくる政治家たちの支持基盤の問題が大きいのではないでしょうか

過去は良かった、と言うつもりではないのですが、もう少し政治家って国家を語るものではなかったのかしら・・・

 

ただ、これは日本だけでなく、世界中の国に言えることかもしれません

プーチンさんや習さんのように、自分の保身のためだけに政治を利用できる国は論外ですが、民主主義の盟主であるトランプさんをはじめとして、欧州各国の右傾化、ポピュリズムの台頭はどうでしょう

一時の自分たちの人気のために、人民に餌をばら撒いて歓心を買う、という政治がまかり通っています

日本で、「この国がどうあるべきか」なんていう坂本竜馬!!のような熱き議論は一切聞こえてきません

せいぜい、外国人を追い出せ、制限しろっていう議論ぐらいです

それだって、外国人が増えてきてトラブルが出始めたから叫ばれ始めた対処療法でしかありません

そもそも日本はこれから労働力をどうするのか、本質的なコンセンサスがありません・・・

かっての先進国から中進国に後退し、老人化率が1/3を超えている我が国で、過去のような栄光を再び、なんていう呑気なことを言っている場合でしょうか

出生率が低下し労働人口がいなくなる一方のこの国で、国債を刷りまくって国民にお米券をばら撒くことが、私たちの将来のためになるのかしら

年金や保健の制度設計はどうするのか、原子力はどうするのか、地震などの大規模災害対策はどうするのか、巨額な赤字国債は、温暖化対策は・・・

どんなに嫌われても、こういう避けては通れない問題を一つ一つ真剣に議論しよう、こういうことを一番に議論しなければいけない、という気概が与野党ともに感じられません

だからこそ、つい「そんなことより」なんて言葉が出てしまうのかもしれません

 

選挙の時ばかりぺこぺこしないで、選ばれし選民としての矜持や気概、誇りを持って、もっと本質的な議論をして欲しい、と切に願います

 

まさか、議員の皆さんはSNSで誤った情報を流布して人を死に追いやったり、選挙制度そのものを貶めるような行為をするために選ばれたのではないのではないでしょうから・・・

このまま、疲れ切った日本を子供や孫の世代に引き継いでいくのは、何とも忍びないと思う今日この頃です

リベラルと保守と

自民党総裁選挙

自由民主党の総裁選挙が雨の決戦で終わり、初の女性総裁が誕生しました。

女性というバイアスを抜きにしても、彼女は現在の自民党の保守本流の真っただ中にいます。早速、党人事や内閣人事の予想が出始めてマスコミを賑わしておりますが、お世話になった方への恩返しというのを事初めにされているようです。正に昔の自民党に戻ったようで、これが保守本流というやつなのでしょうか。

義理人情と貸し借りの世界

私たちからすると、一国のトップたるものが個人の義理人情や貸し借りの世界を最優先するのではなくて、国民から選ばれた代表として、国民のためにする人事を優先して欲しいと願う訳なのですが。選挙では、85才のしかめっ面の、右向け右の鶴の一声で、雪崩を打ったように一斉に勝ち馬に乗ろうと走り出す様子は滑稽でもありました。とはいっても、本人たちは至って真剣で、政治家になったからには末は大臣か総理か、という夢は誰しもが持っていて、その夢への執着も私たちには想像もできないくらい強いものなのでしょう。節操とか、信念とか、国民のためとか、そんな絵空事にとらわれているヒマはない、というのが本音なのではないでしょうか。

保守回帰の潮流

保守回帰、極右の台頭は、日本の参政党の躍進だけでなく、世界的な兆候であり、ナチスを生んだドイツでさえ、極右が台頭しつつあります。自国第一主義、選民思想が世界に蔓延しつつあり、国連というリベラルの象徴のような場で、世界の第一国の大統領が堂々と国連の存在そのものを否定するという前代未聞の出来事さえ、何となく受け入れてしまったかのような反応でした。現在の世界の経済動向は、決して大恐慌時代のように多くの人民が今日明日食うにも困るという状況ではありません。現に、日本では日経平均株価が今日も最高値を更新しているぐらいです。それでも、私たちは生活に苦しい、もっと物価を下げてくれ、と切に願っています。裏返してみれば、それに見合うだけの給料がもらえていない、ということです。海外からのインバウンドが大挙して日本に来るのは、為替が安い上に安全だからではないでしょうか。マックがセットで500円なんてあり得ないくらい安い、と感じるのでしょう、うらやましいことです。

かっての勢いを失った現実

日本では、失われた20年とか言われていますが、今の為替のレートを見ても、私たちはこの間に世界の先進国から中進国になってしまったのではないでしょうか。そこには、これまでの政治の責任は大きいと思います。ただ、これはアメリカしかりイギリスしかり、どこの国でも多かれ少なかれ、かっての勢い、栄光というものを失いつつあるような気がします。そこに付け入るのが、今の保守本流の流れなのかもしれません。かっての栄光よ再び、私たちはそれを取り戻します、だから選ばれし自国民以外は追い出します・・・ということでしょうか。

歴史を戻すことはできない

だが、常に時は流れ、歴史は動いていきます。いったいいつの時代、時点に戻るというのでしょうか、いったい誰を指して自国民とするのでしょうか、どうすればそこまで時を押し戻すことが可能なのでしょうか。・・・そんなのは不可能ではないでしょうか。

高度成長の時代には、ある意味余裕があって、今日の損は明日明後日で取り戻せる、借金してもいつかは返せる、という確信がありました。ですから、リベラルな考えでヒューマニズムを掲げ、武士は食わねど高楊枝ではないけど、若干無理してでも、弱きものたちを守り食べさせてあげることができました。今は、そんな余裕が各国に無くなってしまい自国のことで精一杯、だから古き良き時代に戻ろうという考えに人が集まるのでしょう。

足元を直視する

今回の自民党の新総裁の勝因は、全国の党員票にあった、と言われています。我らが地元の強き自民党を取り戻すためにはタカ派が良いと党員は判断し、それに議員が同調したという構図なのでしょう。

それでも、昔に戻ることはできません。

例えば、誰が3K6Kの仕事をこれからやるのでしょうか、人口の1/3が高齢者となった国で、自国民だけでその高齢者を面倒見きれる、とでも思っているのでしょうか。困ったところだけ他国に助けてくれって、そんな都合の良いお願いをするなら、倍の給与を払わなくては来てくれません。ただでさえ、自国民のエッセンシャルワーカーの賃金の低さが問題になっているというのにどうしますか。・・・

繰り返しますが、歴史は戻りません。そして、政治はショーでもないし、政治家はタレントでもない。

私たちは、今ある現実、取り巻かれている環境を直視し、決して実現しえない夢などに騙されることなく、これからの私たちにできることをしっかりと見据えて、前を向いていくことが大切なのではないでしょうか。

人間と同じで、若かりし頃には戻れないのですから。

雨がフルフル、人は成長する

ずっと暑いが続いていましたが、とうとう雨が降っています。

昨日は夕方前後にポチポチ程度でしたが、今朝は明け方からしっかりと雨です。

黄色くなった庭の芝たちも、心なしかウルウルとして緑に輝いているように見えます。

雨ではなく鵜

ようやく降った雨は大雨警報は出るわ、土砂災害警戒情報は出るわと、まさに熱帯の雨のような降り方です。

たぶんスコールとも違って雨季って感じでしょうか。

こんな降り方では植物たちも困ってしまうでしょうし、そもそもの植生がこんな気候に合わせて徐々に変わっていってしまうのでしょうね。

最近、北海道でブリが豊漁と言われているように、知らぬ間にどんどん日本を取り巻く環境は変わっていってしまっているのでしょう。

いずれ日本は、一年中半袖、半ズボンなんてことになるのではないでしょうか。

やれやれ・・・

 

天気予報では、一昨日の水曜日から怪しいと言われていましたが、フタを開けてみると水曜日は絶好のゴルフ日和でした。

午前中から風もあって、午後からは曇りという好天気でした。

ビカ暑でウンザリするかと思っていたに、曇っても雨も降らず、水筒の氷は我が家に帰るまで残っておりました・・・

このゴルフは、元の会社の面々とのミニコンペでした。

かってゴルフを始めたばかりのような腕前だった部下たちが、事も無げに80台で回ってくるのをみて、つくづく時代は変わっていっているのだなあ、と実感しました。

こちとらと言えばやっとの思いで何とか食い下がって80台でしたから、余裕こいた彼らとは大きな違いです。

まもなくコテンパンにされてしまうのかもしれませんが、これも人生の順番という奴ですね。

自分も40台後半から50才代に入った頃は、考えずにゴルフをしても、当たり前のようにスコアが出ていましたから。

そんなもんなのですね、きっと。

 

彼らのゴルフの成長にも目を見張るものがありましたが、人によっては人間的成長も著しい方もいましたし、逆にほとんど変わっていない方もいました。

その差はいったいどこにあったのでしょう。

わずか10年程度して経っていないのに、この差です。

誰もが同じように、その10年は二度と来ない。

一日一日どう過ごしてきたか、その小さな積み重ねの結果が、久しぶりに会う人間には明らかな差として感じることができました。

きっと本人はわかっていないし、いつも一緒にいる会社の人たちすら気がついていないのではないでしょうか。

改めて、日々の積み重ねの恐ろしさって奴を感じました。

10年といえばひと昔ですが、人生100年としてもその1/10も?あります。

人生はあっという間です。

過ぎ去った10年はどう頑張ってもリセットできないので、欲しいならまた積み上げ直さなければないない。

でも、逆に言えば積み上げ直せば、まだ間に合うかもしれないから諦めてはいけない。

ゴルフ前日の夕焼けです

何度も言いますが、10年という時間の積み重ねは大きい。

ホント、ビックリです。

こっちもチンタラやっていたら、何やっていたんですか?って笑われそう。

ギア入れてもっとガシガシといきましょう。

ひと息つくのは棺桶の中でいいのかもしれません。

 

携帯を変えて、前に進もう!

相変わらず暑い毎日が続きます。

果たして八月は雨が降ったのでしょうか・・・

記憶の中に雨らしい雨がありません・・・

そンな感じですから、庭の芝生は地面も見えてスカスカの状態です。

庭の梅や紅葉の樹木などは、早くも黄色く色づきはじめていて、枯れてきているのかしらと疑りたくなります・・・

 

東京湾の朝焼け

そんな暑い最中、我が家に事件が発生しました。

 

パートナーの携帯が、ある日突然、パタッと止まってしまったのです。

毎朝FMを携帯で受信しスピーカーで流しっぱなしにするのが、彼女の日常ルーチンなのですが、それが突然受信停止!

充電切れかとアダプターに差し込んみてでも、白いリンゴが点滅するだけ・・・

白いリンゴの会社に電話してみたものの、リカバーをやってみてと言われ、何度も挑戦した結果、最後に「途中、機器の不良でリカバーできませんでした」の表示。

困ってしまい、白いリンゴの修理専門の代理店を、地元にあるカメラの○○さんがやっていることを発見。翌日予約してみてもらったものの、基盤の破損と宣告され、交換には5万円以上はかかると言われ絶句。

確かに、最新版は16(もうすぐ17になるそうな)ですが、使っているのは11と、かなりロートルなのは事実で、この際二人で買い替えることに。これまでパートナーとは、同じ時期に同じ機種を買い替えることで、お互い新しい機能を教え合ってきました。

当方の11も毎晩充電しても、午前中からすぐに70%を切るバッテリー状態でしたので、そろそろかとは思っていました。

新しいのを、カメラ性能の高い15とAI機能が付いた16と、さてどちらと若干悩みましたが、ここは最新機能の16の廉価版を選ぶことにしました。

年齢を重ねると、IT機器の新しい機能がどんどん疎ましくなっていく自分との闘いです。ここで諦めたら、あとは周回遅れになっていくだけ、行けるところまでついていく、というのがパートナーとの共通の思いです。(実際どうかは別ですが)

また、二年前の退職を機に、通信契約も廉価版に変更したため、キャリアメールは別料金を払い、使い続けていました。

これは月300円と安価ですが、大して使っていなければやっぱり勿体ないものです。

白いリンゴの会社のクラウドに写真も電話帳、スケジュールも入れていたので、キャリアさんのところのデータらしきものといえば、過去からのメールそのものです。

一度、過去のメールをざっと読み返してみましたが、まるでタイムスリップしたようでした。たった10年前ですが、まるで別の世界の人間の会話のようでした・・・

キャリアメールを解約すれば、これらのメールも消え去ってしまいます。でも、だとからといって保存しておくほどの意味もありません。

エエイ前に進むんだと、ドキドキしながら月末の今日、解約の手続きをポチッとしました。

これで、過去とのつながりがまたひとつ消えていきました。・・・

 

おセンチになってもしようがないし、自分を含め誰かが、頭の片隅のどこかに記憶にとどめておけば、それで良いのだろうと思います。

とはいえ、その自分自身、記憶はしているのかもしれませんが、思い出すのがなかなか難しくなってきていることは事実です。

ただ、脳科学的には違うらしいのですが、忘れることで自分の記憶領域が新たにリセットされ、拡がっていくような気もします。

ですから、最近は忘れることをあまり苦にしないようにしています。

これも明け方です

それより、近年の携帯の移行は素晴らしい。

以前はデータを移すのに四苦八苦して、別料金払ってやってもらっていたりしました。今回も払う覚悟でいましたが、基盤の飛んでしまったパートナーの携帯ですら、クラウドからデータを取り込むことで、なんとこの当方がセッティングすることができ、費用は掛かりませんでした。

何と素晴らしい時代になったのでしょう。

 

さて、ぐちゃぐちゃと言っていないで、どんどん新しい携帯の機能を覚えなくてはいけませんね。