ようやく秋らしい気候になってきました。さすがに半ズボンは履けなくなりました。朝のウォーキングも、今朝は短パンからトレパン?(今どきはなんていうのかしら?)に履き替え、ウインドブレーカーを羽織って歩いてきました。ただ、速歩をしているとウィンドブレーカーはだんだん暑くなって、帰宅時には中のTシャツがびっしょりでした。
さて、いよいよアメリカの大統領選挙の投票が始まりました。日本にも世界にも大きな影響を及ぼす選挙です。結果次第では各国の思惑が蠢き、ウクライナやイスラエル問題に大きな変化を及ぼしそうです。日本においても、中国の台湾問題や、北朝鮮の核開発問題、或いは国内のアメリカ軍の駐留問題においても、大きな影響があるかもしれません。
私たちが日本からみていると、トランプさんの数々の失言や虚言は「とうていアウトでしょ」と思えるのですが、様々な出自の人種や移民の国であるアメリカでは、そうとはなっていません。黒人だから全員ハリスさんという訳でもなく、アラブ系でもトランプさんという人もおります。そこには、政策本位という民主主義の大義があり、人物は変だが政策に投票する、という意見も多いようです。日本では、元アイドルやアナウンサー上がりのような知名度だけで、まるで人気投票のように当選してしまう泡沫議員がいたり、裏金ばれちゃった選挙なんかをやっていて、日本という国が恥ずかしくなってしまいます。
一方、ジェンダーレスについて一歩先を行っていると思われるアメリカであっても、やはり女性が大統領になる、軍の最高司令官になることに対してアレルギー的拒絶反応を持つ男性も多いとのこと。また、人種差別撤廃の影響から、多数派であった白人男性が、逆に隅に追いやられてしまったことに対する反撃としてトランプさんを推す声も大きいのも事実です。
ですから今回の選挙は、改めて民主主義の存続をかけた選挙でもあり、はたまた人間の根源的な部分をあからさまにした選挙でもある、といえるかもしれません。それが、ここまでカツカツに拮抗すること自体、驚きと言えます。過去にここまでの接戦はありませんでしたし、仮に人種や性別に不満があったとしても、一定の範囲で我慢や妥協がされていて?、その上での政策論議だったように思います。それが今回は感情がむき出しになったカオスのような状態になっています。欧州各国で極右政党が台頭し、自国第一主義を唱えているのと同じです。まさに、理性と感情のぶつかり合いかもしれません。
ちょっと歴史を遡れば、自分たちのご先祖様たちも、どこぞから流れてきたはずなのですが、今自分たちが生きているところに他人は入ってくるな、今の生活が奪われるから、と排除する考えが、今は世界の中で一定数受け入れられているのです。
まあ、それは日本でも同じかもしれません。例えば、新興住宅地のお住まいの方たちが、新たな裏山の開発に反対するのと同じ構図です。昔、自分たちも新参者として里山を削ってできた今の団地に入ったことは忘れて、これ以上は入ってくるな、と線を引く行為と似ていませんか。
何で人間は線を引きたがるのでしょうか。線を引くことで自分の陣地を確定し安心したいからでしょうか。
なんでも境界がはっきりしていないとダメなものなのでしょうか。・・・
ということで、私はアメリカの歴史的大接戦を固唾を飲んで見守っています。きっと、誰かさんは不正が行われたとか、負けてはいないとか、これからいろいろと引っ掻き回すでしょうから、結果が確定するまで一か月ぐらいはかかるでしょう。ですが今度は暴動が起きないことを祈るばかりです。あんな行為は、アメリカという国のステータスを下げるだけですから。自らの世界の中のプレゼンスを投げ捨てるのは止めてもらいたいと思います。それは日本にとっても大きな影響があるのですから・・・